実は、今年の初バイク乗りは1月3日でした。1月3日にも正月堂へ行ったのですが、さすが三が日ということで参拝の方が多く、また駐車スペースも満車という状態でしたので、外から軽くご挨拶だけで撤退。

そこで、1月16日(日)、松の内も過ぎましたので空いているだろうということで参拝へ出掛けました。

島ヶ原の正月堂とは

正確には「観菩提寺(かんぼだいじ)」。山号は「普門山」。地域では「正月堂(しょうがつどう)」の名で親しまれています。そのため「観菩提寺 正月堂」と表記されているところが多いです。

正月堂の解説

正月堂は奈良東大寺の別院でもあり、毎年2月に開催される「修正会(しゅしょうえ)」が有名なお寺です。

詳しくは、伊賀上野観光協会のページをご覧ください。

正月堂へのルート(京都方面の西から)

2つのルートがあります。

車で7分(3.7km)のルート(地図の上側のルート)

国道163号線を東へ向かって進むと「月ヶ瀬ニュータウン」の看板が左手に出てきます。看板を少し越えたところを左へ入って行きます。

農道のように見えますが、原付二種だけではなく中型や大型バイクも余裕で走れる道になっています。雰囲気は農道ですが、アスファルトなので安心。

車で9分(5.8km)のルート(地図の下側のルート)

「道の駅みなみやましろ」を通過して行きます。道なりに進むと「町」の交差点が出てきますので左折します。

大和街道を走っていくと「島ヶ原大橋」が出てきますので、大橋の手前を左折して木津川に沿って進みます(ここから県道305号線)。あとは道なりに進むと、少し不安になるかもしれませんが「正月堂」まで迷わず行けます。

正月堂へのルート(伊賀方面の東から)

3つのルートがあります。

車で8分(5.5km)のルート(地図の真ん中のルート)

国道163号線を西へ向かって進むと「三軒家」交差点が出てきます。ファミリーマートの手前です。ここを右折して「旧大和街道」へ入って行きます。

道なりに進むと右手に「やぶっちゃ」が見えます。右手に見たまま通過していくと、島ヶ原大橋が出てきます。大橋を渡って直ぐの交差点「島ヶ原大橋西詰」を右折し、木津川に沿った県道305号線を走っていきます。あとは道なりに進むと「正月堂」へ到着します。

車で9分のルート(地図の上と下のルート)

上と下に別のルートがありますが、特におもしろい区間もないので、正月堂へ向かうだけならおすすめしません。

「道の駅みなみやましろ」へ立ち寄ってから正月堂へ向かう方は、下の方のルートを選びましょう。

少しの区間ですが、峠道を走ってから正月堂へ向かいたい方は、上の方のルートを選んでください。ただし、上の方のルートですが、1月~2月は雪が積もっている箇所が出てくる可能性があります。スリップにはご注意ください。

三重県(伊賀市)島ヶ原「観菩提寺(正月堂)」

正月堂へ到着すると、真正面に駐車スペースがあります。そこにバイクを停めました。車も普通乗用車なら縦向けに3~4台は停められます。大型バイクでも大丈夫。

正月ツーリングのモンキー125とZ125PRO
正月堂前の駐車場から

ただし、前の道が狭いのと、地元の方が車で通行されるので、路上駐車は止めてください。大きい車が入ってくると離合しづらいので。よろしくお願いいたします。

正面を進んで行くと「楼門」があります。重要文化財に認定されています。

正月堂の門
正月堂の楼門

記録によると、天正9年(1581年)「天正の乱」で、織田信長軍勢の焼き討ちから運良く難を逃れたのが「本堂」「楼門」だけらしいです。他は焼き討ちで焼失。

由緒ある楼門を正面から見て、左右へ視線を動かすと目に入るのが、阿像と吽像の金剛力士像

阿吽です

門をくぐって進むと本堂です。

正月堂本堂

本堂へお参りし、上を見上げると、御詠歌が。

達筆です

「達筆で読めないな」と思っていたら、本堂の左側にワープロ打ちされたわかりやすい御詠歌が貼ってありました。お心遣い、ありがとうございます。

ワープロ打ちありがとうございます
左が御詠歌

本堂へお参りして振り返りますと、清々しい景色が広がります。楼門の向う(バイクを停めているところ)には、池があるんです。池も含めて「極楽」のイメージが描かれているのでしょう。

極楽浄土のイメージかな?

本堂を降りますと、右手に「国賓正月堂」の石碑と燈籠。

燈籠多し

石碑の奥へ進みますと、本堂裏手から西国三十三所石仏巡りができます。30分くらいで歩いて回れるコースですが、山道なのでバイク用のブーツですと歩きにくく、今回はすぐに断念。

道が険しい

右へ分かれている道へ入って、鐘楼を見学に行きました。

矢印の方へ進むと鐘楼があります
鐘楼発見

山の上にあるのと、近くに同じ高さの建物がないのと、裏が山という条件から考えると、鐘を打つとかなり響き渡ると思います。里の端々まで聞こえるんだろうな。

見晴らし良し
里が一望できます
横から見た鐘楼

鐘楼を見学して本堂の方へ降りて行きます。すべりやすいのでご注意ください。

下りは滑るので注意!
庭へ向かって進みます

本堂の東側には「手水鉢」があります。特長的なのは、亀の上に置かれていることです。

亀、重そう・・・
重いから叫んでる?
亀の背後から

手水鉢の方から本堂を眺めると、こんな感じです。凛として静かな佇まいです。

紅葉シーズンもおすすめ

卒塔婆の下から、少しアングルを変えてみました。

フォトコンにありそう

楼門から出る時、左右を見ると教養が少ないのではっきりとはわかりませんが、たぶん「多聞天」「広目天」の立像があります。

たぶん「広目天」違ったらすいません
おそらく「多聞天」違ったらごめん

こちらは金剛力士像のアップです。

阿形
吽形

みなさん、御仏を守る神ですから、筋肉隆々です。魔を寄せ付けないチカラ強さを感じます。

楼門から里の方を眺めると、静けさしかありません。

凛とした静けさが心地良い

最後にひとつ。正月堂の前には「山津波災害記念碑」が建っています。裏が山なので大きな災害があったことを残しておられます。山津波という表現になっていますが、今なら「土石流」だったのかもしれません。

山津波災害記念碑

記念碑に残されている文は、以下のとおりです。記念碑の写真を拡大して書き出しました。

山津波災害記念碑
昭和二十八年八月十四日夕刻からの降雨は夜半に至り沛然たる大豪雨となり
激しき雷鳴と凄絶なる稲妻は間断なく大地を震わせ
遂に十五日未明 俄然 地鳴りを伴い北部山渓一帯において山津波を起こし
濁流は無数の巨岩と立木を交えて奔騰し瞬時にして多くの家屋を押し流し尊き人命を奪い去りぬ
豊沃なる田畑は砂礫の河原と化し道路は寸断され交通通信は全く杜絶するなど
大自然の暴威の下に惨憺たる荒廃の地に変貌し村民斉しく呆然たるものありしが克く廃墟の中から立ち上り国県の力強き援助の下に営々辛苦の末災害前にも優り整備されたる平和郷の再建成る
茲に後世 災害の再び起こらざるよう不断の対策を怠るなきを念じ災禍の恐るべきを永く伝えんとして この碑を建つ
昭和四十四年八月十五日 島ヶ原村 建之

※記念碑の文と改行を変えています。

昭和28年の山津波災害に関する情報

伊賀市のホームページ 伊賀市島ヶ原財産区

砂防に関する石碑 24-1.山津波災害記念碑

滋賀県のホームページ 甲賀市 昭和28年8月多羅尾豪雨

砂防学会誌 Vol.59 1953年8月「南山城災害」斜面崩壊地の航空写真についての研究(PDF)

この災害ですが、私は京田辺市(旧綴喜郡田辺町)出身なので、京都の井手町や和束町に発生していたことは知っていたのですが、三重県の島ヶ原や滋賀県の多羅尾も同じように災害に遭っていたことは知りませんでした。

しかし、今なら地図を見るとわかりますが、これらの地域はすべて隣同士です。山の中で県境(三国塚にある三国交点)があるため状況は同じなのです。

現在は治水対策や砂防対策などが進んでいます。しかし、昭和28年のときのような豪雨が降り続くと、今でも同じような災害は起こりえるだろうとバイクで走っていると感じます。特に笠置から島ヶ原~多羅尾を結んでいる「三国越林道」「多羅尾林道」は、豪雨が続くと危ないことが走っていると想像できます。

もし、京都南部、山城地域、滋賀県南部、三重県西部にお住いのお若い方で最近バイクの免許を取得し、偶然このブログへたどり着かれて、この内容をご覧になられたなら、一度は「正月堂」へ足を運び、記念碑と周辺の立地条件を自分の目で確かめて見てほしいです。そうすると、話だけや知識だけで「知っている」防災や災害のことが、身近なことになると思います。